Live & Learn 〜日常的に学ぶブログ〜

日々の気になった事を記録していきます。

可能性は無の中にも存在するか?

存在というのは物質的と概念的なものがあると考えます。しかし、突き詰めていくとほとんどのものが物資的な存在だということが判明していきます。例えば「愛」なんかがそうです。愛がこの場所に存在すると人はいいますが、人間の脳内物質がそう感じさせているだけで、本当の意味での概念的な存在ではありません。そもそも概念的な存在はほとんどが人間が作り出しているもので、物質に全く依存しない概念なんてほぼないんじゃないかと思っています。一つ代表できる概念的存在があります。「時間」です。
時間は人間が考えて生み出したものではなく、元々存在していたものです。時計という人間の発明品はありますが、なくても時間は存在します。
このように、概念的な存在というのはなかなか思い浮かべるのが容易ではなく、一度このモードに入ると、世界は所詮物質的なんだなと達観した気分になってしまいます。
しかし、今回新しく概念的存在なんじゃないかと思うものを発見しました。
それは「可能性」です。この概念は人間が誕生する以前からあったものかと考えます。星と星がぶつかる可能性、ブラックホールが発生する可能性、生命が誕生する可能性。しかし可能性は「思考ありき」な一面があるのでそれのせいで概念的存在を断言できません。
面白いのはここからで、もし可能性が概念的存在であるなら、時空を超えた唯一の存在になります。宇宙も神もいない世界でも、可能性はそれらが誕生する可能性として存在ができてしまうからです。そして、宇宙が終焉を迎えた後も、再び誕生する可能性として存在し続けます。つまり可能性は永久不滅なのです。無の中に存在できる唯一の存在なんじゃないでしょうか?
日常的によく使う可能性という概念は実は神に並ぶかなり偉大な存在なのかもしれません。。

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冷めたピザをおいしく温める方法

ぬるいビール、炭酸の抜けたコーラ、伸びたラーメン、塩と砂糖を間違えられたクッキー。これらに匹敵するまずいもの、それが、冷めたピザです。

デリバリーで届くピザは熱々でおいしいです。しかし、デリバリーピザは出来上がってすぐに届くわけではなく、配達時間約30分を要するのが一般的です。

それでも、届いてからすぐに食べれば熱々で食べれますが、例えばディナーパーティーなどで、届いてもすぐに食べれない場合などは、結構あっという間に冷めてしまって、ちょっとかたくなってしまったりします。それだとせっかくのピザが台無しです。

今回はそんな冷めたピザをおいしく復活させる方法を記します。とんでもないおいしさになるので注意が必要です。


冷めたピザをおいしく温める方法

1.ピザをフライパンで中火で加熱する(1分程)

2.ピザにかからないように水をフライパンに数滴投入する

3.フライパンにフタをして弱火でそのまま加熱する(1分程)

4.取り出して出来上がり


どんなふうにおいしく復活するかというと、まず生地がカリカリっとクリスピーに変化します。そして、水を加えて加熱したことによって具材やチーズに潤いが戻りまるで焼きたてのピザのようになります。オススメです。


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時計は磁気を帯びると壊れる

タイトルの通りで、腕時計などの機械式時計や、クォーツ時計は磁気を帯びると、一時的に針が狂ってしまったり、最悪の場合止まって壊れてしまうそうです。

機械式時計の内部には精密な動きをするテンプという部品があり、これが金属なため磁気を帯びると影響されて動きがおかしくなるそう。

クォーツ時計は機械式時計ほど影響は受けないそうですが、ステップモーターという磁石の性質で動く部品があり、これがまた強い磁気を帯びるとおかしくなってしまうそうです。

ある時計メーカーによる調査では磁気が原因の時計故障経験がある人は少数らしいですが、腕時計が影響を受けてしまうかもしれない強い磁気は日常に溢れているようなので注意が必要です。

磁石以外でも強い磁気を持つ物がたくさんあるそうで、例えばスマホだとスピーカー部分は強い磁気を発しているようで、時計を近づけたり一緒にバッグにいれるのは良くないそうです。同じくオーディオスピーカーも。

時計好きな人たちの間ではよく知られているみたいですが、エレベーターの中の壁は同じく強い磁気を発しているそうで、腕時計を近づけないのが常識だそう。

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永遠はあるのか?

今回は、歌詞などにもよく使われる「永遠」という概念について考えてみました。
永遠とは一言で定義すれば「終わりの来ないもの」とできるでしょう。
星を含み全ての物体にはその誕生があり、終焉があります。
じゃあ永遠に持続されるものなんてないのか?
当たり前と思うかもしれませんが、二つは必ずあります。(たぶん?)
まず一つ目は「時間」です。そもそも、永遠という物自体も時間という概念の上に成り立つものだと思うので、もし何か永遠のものがあるのならば時間も必ず共に永遠になるという論理になります。
二つ目は「空間」です。これもほとんど同じ論理で、永遠のものがあるなら、時間があって、それらを存在させる空間がなければ成立しません。
この空間というのは宇宙という意味でここでは考えていなくて、多元宇宙寄りの考えで、宇宙が発生したり消えたりするのを観測できる次元の空間という意味で空間と表しました。
そう考えればこの宇宙に終わりが来たとしても、時間は存在し続けることになります。
話がわかりにくいですね。
結論、逆説的ではありますが時間と空間は永遠だということはなんとか言えそうです。
ちなみに多元宇宙の概念では、まるでシャンパンの泡のようにパチパチと宇宙ができたり、消えたりするらしいです。
面白い話じゃないですか?

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日本人はいつからクリスマスを祝うようになったか?

元来クリスマスとはイエス・キリストの降誕を祝う宗教的な祭日ですが、現代ではキリスト教徒でない日本人も季節行事としてクリスマスを祝って楽しんでいます。

では、日本人はいつからクリスマスを祝うようになったか?

調べてみたところ、意外と古くから祝われていたようで、遡ること明治維新より300年以上前の戦国時代1552年に山口県の教会で外国人宣教師と日本人教徒がミサを行ったのが日本ではじめてのクリスマスと言われているそうです。

しかし、その後江戸幕府の禁教令によってキリスト教は禁止されクリスマスは長い間表舞台には出てこなかったそうです。

時は流れて1900年(明治33年)になると銀座に明治屋が進出し、年末を彩るイルミネーションと、クリスマスセールが開かれたそうで、これが国民にクリスマスが認知される最初のきっかけとされているみたいです。(※諸説あります)

1904年には再び明治屋によってクリスマスツリーが持ち込まれ、1910年には不二家によってクリスマスケーキの文化まで持ち込まれたそうです。

1913年(大正2年)には帝国ホテルでクリスマスパーティーが開催されたり、クリスマスプレゼント文化もすっかり大衆に広まったそうで、日本人にとってクリスマスはキリストの降誕を祝う日というよりも、楽しいクリスマスプレゼントの日という形で受け入れられたみたいです。


これは個人的な憶測ですが、日本ではいまだにこの「クリスマス=プレゼントの日」という認識が強くあるから「恋人とプレゼントを交換する日」という派生した文化が生まれ、現代の「クリスマスは恋人の日」という日本的クリスマスがあるんじゃないでしょうか。


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恐竜は絶滅してない?

すでに新常識として定着しているかもしれませんが「鳥は恐竜の子孫」というものがあります。今回、細かい内容が気になったので調べてみました。


恐竜の定義として「恐竜とは直立歩行をする爬虫類」というものがあります。ワニなどの関節を曲げて歩く爬虫類は恐竜には含まれません。足が曲がらず直立歩行するトリケラトプスなどが恐竜にあたります。


恐竜と一口に言っても様々な種類がいて、実はそのほとんどは実際絶滅してしまったらしく、たった一つのグループだけが鳥という姿に形を変えていって今なお現存しているらしいです。


大きく分けて恐竜は3分類されます。

鳥盤類、竜脚形類、獣脚類です。

ここから獣脚類→テヌタラ類→コエルロサウルス類→マニラプトル類→原鳥類→鳥類となっていきます。

鳥類にならなかった恐竜は全て絶滅しているのと、恐竜は爬虫類であることが定義にあるので、恐竜は絶滅したと言っても過言ではありません。

しかし、鳥の祖先は獣脚類の恐竜なので恐竜のDNAは途絶えていないということになるのかもしれません。


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恐怖とはなにか

人間には恐怖の感情があり、そしてその恐怖の対象になる物事についてはたくさんの人々が語り、恐れつつも娯楽的に楽しんだりしています。しかしこの恐怖自体(恐怖が起こる仕組み等)についてはあまり語られません。
今回気になったのでその正体を紐解いてみました。その正体はとてもシンプルでした。
「恐怖とは危険に対する防衛本能であり時にそれは過剰に作用する」
個人的な見解を含みますが、これが恐怖の正体なんじゃないかと思います。
簡単にいうと「脳が恐怖を感じさせて、身の危険を回避させようとする」ってことなんじゃないでしょうか。
定義に「時に過剰に作用する」と書きましたが、これは危険性が未知のものに対しての恐怖のことを指します。
例えば、幽霊を思い浮かべると怖くなるのはなぜか?それは幽霊の危険性が未知であるからです。つまり、いないと思ってても突然現れて危害を加えてくるかもしれないと脳は過剰に危険予測してしまうので、防衛本能が働き恐怖の感情を生みます。
遠くの国で連続殺人が事件になっていても、怖くありませんが、自分の住む街だったら怖くなりますよね。これが恐怖の仕組みです。

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